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別府温泉辞典

あ か さ た な は ま や ら わ

玄武岩

げんぶがん

 火山岩のうち、ケイ酸(シリカ;SiO2)の濃度が53重量%に達しないものを、玄武岩と言います。基本的な火山岩であり、その化学組成はマントル物質に近いと考えられています。太平洋・大西洋・インド洋などの中央海嶺では、現在もマントル物質が湧き上がり、新しい海洋底(海洋地殻)が生まれていますが、その岩石が玄武岩です。海洋地殻は地球表面の約70%を占め、花こう岩を主体とする大陸地殻の底部の岩石は玄武岩に近いという有力な説がありますので、地球の表層部は玄武岩で覆われているとも言えます。
〔地殻・マントル・中央海嶺については、地殻の項を参照してください〕

 金属成分の多い玄武岩は、黒っぽい色をしています。また、噴火直後の溶岩(液体)は、粘性が小さく、流れやすいので、玄武岩溶岩が作り出す地形は、ハワイ島のマウナケアやマウナロアのように、なだらかな高原状になります。(外部サイトには、沢山の写真が公開されています。)
 沈み込み帯である日本の火山岩の多くは安山岩ですが、古い時代には、玄武岩が噴出しました。佐賀県糸島市の「芥屋の大門」、島根県の「隠岐の島」、兵庫県亀岡市の「玄武洞」などの玄武岩は有名です。現代では、伊豆諸島の火山が玄武岩質溶岩を噴出します。たとえば、1983(昭和58)年10月および2000(平成12)年6月~8月の三宅島の噴火、1986(昭和61)年11月~12月の伊豆大島(三原山)の噴火などです。

 「玄武」とは、亀と蛇の化身を想像した黒色の動物で、四神の一つとして北を守っているとされています。江戸時代の中期・文化時代、幕府の儒官・柴野栗山は、亀岡の柱状節理の洞窟を、その黒色ゆえに「玄武洞」と名付けました。なお、他の三方を守る神は、南が朱雀(赤色)、東が青龍(青色)、西が白虎(白色)で、亀岡には朱雀洞・青龍洞・白虎洞と名付けられた洞窟もあります。
 明治17年(1884)に岩石の日本名が定められたとき、玄武洞などでみられる黒色の火山岩に「玄武岩」の名称が与えられました。
 別府地域では、これまで玄武岩は見つかっていません。ただし、伽藍岳西方にある鬼箕山の溶岩は、玄武岩に近い化学組成をしています(ケイ酸濃度:54.3重量%)


玄武洞に残されている地球磁場逆転の証拠
 玄武洞の玄武岩は、第四紀の初め頃に噴出しました。火山岩には噴火当時の地球磁場が残されているのですが、玄武洞のものは現在の地球磁場とは逆向きだったことが、1929(昭和4)年、京都帝国大学教授・松山基範(後に、京都大学名誉教授;山口大学初代学長)によって発見されました。これをきっかけに、世界中の岩石に残っている過去の地球磁場(古地磁気)が調べられ、長い地質学的歴史の間に、地球磁場は繰り返し逆転してきたことが明らかになりました。これによって、「プレートテクトニクス」の考え方が発展したのですが、玄武洞の古地磁気研究は、その基礎資料を提供することになったのです。
 この画期的な発見をした松山基範(1884-1958)は、大分県宇佐郡駅館村字上田(現:宇佐市大字上田)で出生、上田小学校(現:駅館小学校)を卒業しました。

〔注:駅館やっかんと読みます。〕

帝国学士院紀要に掲載された松山教授の論文:
Matuyama, M. (1929): On the direction of magnetisation of basalt in Japan, Tyosen and Manchuria. Proc. Imp. Acad. Japan, Vol.5, 203-205.


執筆者由佐悠紀)
参考文献
地質調査所(1988):地域地質研究報告(5万分の1地質図幅)別府地域の地質.
社団法人全国地質調査業協会連合会など(2007):日本列島ジオサイト地質百選,オーム社.
国立天文台(2012):「理科年表 平成25年」,丸善株式会社.