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地球のはなし  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

No.47
中国の塩湖・水・地熱見聞記Ⅰ
山西省太原市の水

北京から列車で南西に向い、石家荘から西行すると、山西省の省都・太原市に至る。

 1981年7月11日、21時34分北京駅発夜行列車の旅が、私にとって最初の中国国内旅行となった.寝台列車は、上下二段のベッドが向かい合わせにしつらえられた、一室四人のコンパートメント形式である。

 7月中旬の中国は、大変な暑さである.湿度も高い.広軌の車両はゆったりとし、真白のシーツが掛けられたベッドは清潔で軟らかいが、冷房装置は無く、扇風機が一台首を振るだけである.じっとりとふき出す汗に辟易しながらも、いつしか眠り込み、目が覚めると、列車は黎明の中、黄土高原を刻む谷に沿って走っていた。

 早朝7時30分太原市に着く.太原市は、かつて晋陽とか幷州(ひんしゅう)と呼ばれた古い都市である.617年、ここを本拠地としていた李淵は、意を決して南下し、遠く長安を衝いた.唐の高祖である.彼の次男・李世民は、626年、兄と弟を殺して権力を握り(玄武門の変)、名君の誉れ高い太宗となる。

 このような、古の建国にまつわる権力闘争のすさまじさなどを思い出し、それがあたかも私たち日本人の先祖たちの話であったかのような気さえするものだから、中国を旅していると、ある種の懐かしさに似た感慨を覚えてしまう。

 太原市には、あちこちに湧水がある。もっとも有名な湧水は、郊外にある旧跡・晋祠に湧くそれであろう。春秋(紀元前5~8世紀頃)の頃からその存在が知られ、利用されてきたらしい。この水の発見については伝説があって(親孝行と継子いじめに関係のある話だったように思う)、「滄浪の水」という美しい名前が付けられている。

 湧水量は毎秒0.6トン、水温は17℃位で、年中ほとんど変わらないのだそうである。毎秒0.6トン、一日当り5万トンとは大した量である(別府温泉の流出量とほぼ同じ)。古の人々にとっては、文字通り、汲めども尽きぬものであったに違いない。このように太原は地下水が豊富で、これが上水道の水源になっていて、一時期、深井戸による開発も行われたらしい。しかし、ご多分にもれず、影響が現れて、二ヶ所の湧水が涸れてしまったために、深井戸を埋め戻して、湧水の回復を図っているとのことであった。どうなったであろうか。


ー地熱エネルギー,10巻4号(通巻32号),1985)に掲載ー



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別府温泉地球博物館理事長の由佐悠紀が執筆し、新聞・雑誌などに掲載されたものを順次ご紹介します。