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第34回別府八湯浜脇ロマン(移ろいゆく温泉観光)

執筆者温泉マイスター協会 評議委員 土谷雄一

 山と海にかこまれた扇状地に湧く源泉は2000孔を超えその数多の源泉の大半が決して一般に提供されることなく個人所有源泉としてひっそりと暮らしに密着している。
 明治の頃に掘削技術を得てからの掘削ブーム。

 旅館の内湯が整備され始め、明治45年の温泉番付で前頭として登場した別府温泉がおよそ100年間で西の横綱へ上り詰め、異例の出世を見せるサクセスストーリーですね。
 ついには市西部へひろがる別荘開発ブーム。
 もちろん温泉付きが条件ですから、人工掘削はますますエスカレートするわけです。
 「亀川に嫁に行けば自宅の温泉がついてくる」とまで言われ浜脇エリアに嫁ぐことで「お町に住めていいねえ」とうらやましがられたとの談も聞きます。
 ところが当時別府温泉と肩を並べて前頭番付されていた浜脇温泉はその後番付を上げることなく源泉数18孔(昭和57年)さらに減少となりついには番付から姿を消してしまいました。
 別府港の整備によって流川通りから北浜エリア旅館がたちならび、内湯完備をウリにした一大観光街の出現。
 次第に北へ進む温泉観光開発の波にのまれた浜脇温泉。
 私が大分市ですごしていた小学生時代のこと。
 歩道すらろくに整備されていない昭和50年代の別大国道(国道10号線)を自転車でひた走り子どもにとって大冒険の末に別府最南の浜脇温泉エリアに這う這うの体でたどりつくわけです。
 住吉小学校(今の碩田学園)6年の夏休み。午前の野球部練習が終わり、野球ユニフォーム姿のまま自転車で別府に向かうことが増えてきました。
 戦後復興のハイテク開発の大分市と比べ、戦前の木造家屋、旅館立ち並び、道路は整備されてなく、国道から一歩入れば自転車しか通れないような路地パラダイス。
 南側にひらけた明るい海。大分市とはまったく異なる空気と色はインパクト大でした。  当時、浜脇なかよし公園の海側にも木造旅館街がありました。
 見慣れぬユニフォーム姿の私を呼び止めてくれた、てしま旅館のおかみさん。
 「あんたどこの子供?見なれん子やな。なにえ大分から自転車こいで来たんね」という感じ。
 さらには半地下の岩風呂温泉に入らせてくれ、食事(うな重)までごちそうしていただくのですが、自慢の温泉を提供して喜んでもらいたいおもてなしのあたたかい心に別府を感じました。
 この時に受けた、なにげないおかみさんのおもてなしが半世紀ほど経った今でも、わたしの別府探究愛の源となっていることは間違いありません。
 その、てしま旅館も新しい開発の波にのまれ、ラブホテル立ち並ぶ景観となっていきます。
 この些細かもしれない出来事を発端に、一人の人間が別府に魅せられ再三リピートするようになりついには移住してしまうわけですから、てしま旅館の功績は決して見えないが大きな観光。
 仮にも地獄めぐりを機にこのような最強リピーターが誕生するかどうかは明言できませんが・・・
 最近の観光のありかたについてみなさまも少々疑問をいだく点があろうかと思います。  大型箱物開発、イベント開催、スタンプラリーもしかり。これらが観光手段として主流になってきています。
 これらを否定するわけではありませんが、別府ならではの文化を活かした個性は欲しいですね。
 温泉地としての歴史は比較的浅い別府温泉において明治大正昭和初期の温泉文化は大切なもの。
 これから先、別府がきちんと守っていけば未来に遺せる歴史も創生できるべくチャンスを摘んでしまわないように。
 私たち個々の学び経験によって未来を創生していく人のパワーは絶大だと感じます。
 温故知新。歴史文化を知り学ぶ人こそ新しいこれからの別府を創れる人。
 便利さの中に豊かさを追求し続けて発展した時代もそろそろ終わりをむかえる予感がします。
 かつてのてしま旅館のようにあたたかく豊かな心と湯をなつかしく思い出すわけです。 旅は人生の起点にもなり得ますから、旅人をねんごろにする!大切な教えと言えますね。





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