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2022.8.26

第57回別府市営温泉シリーズNo.2
「海門寺温泉と海門寺界隈の歴史的背景」

執筆者別府大学 文学部 史学・文化財学科 日本史・アーカイブズコース
アーキビスト養成課程 4年

e-温泉マイスター 円城寺健悠

今回は「海門寺温泉」について歴史的な背景を中心に紹介していく。

 海門寺公園の北側に位置し、別府温泉(北浜界隈)を代表する市営温泉の1つである「海門寺温泉」。現在の建物は平成22年(2010)に建設されており、集会室も併設していることから比較的新しく現代的な共同浴場として知られている。
そんな、海門寺温泉の歴史的な背景は、昭和11年(1936)4月2日に市営温泉として開設されたのが始まりである。
近辺の市営温泉、明治5年(1872)の「不老泉」や明治35年(1902)の「竹瓦温泉」と比較すると、少し歴史は浅いように感じるが、昭和13年(1938)の『市勢要覧』によると、当時、海門寺温泉の1日の平均入浴者数は、「男性411人、女性408人の計819人ほど」とあり、年間で換算すると30万人近くの入湯客で賑わい、とても栄えていたことが分かる。

戦後になって、昭和36年(1961)に改築、昭和60年(1985)に改修が行われ、場所を少し移動したところが現在の「海門寺温泉」となっている。
さて、ここまではざっくりとした温泉の歴史を紹介したが、ここからは少し視野を広げて、「海門寺」そのものの歴史に注目していきたいと思う。
「海門寺」という名前は「寶生山海門寺」というお寺が由来であり、現在の海門寺は明治41年(1908)に記された『海門寺由来記』によると、建長3年(1251)に久光島に建立された「久光山海門寺」が源流であるとされているが、慶長2年(1597)の鶴見岳爆裂の際に、洪水によって久光島が海中に没したため廃絶してしまった。 更に、慶長5年(1600)には石垣原合戦が勃発したため、民は疲弊し、害虫発生なども重なり農作物も育たず、飢饉や疫病に苦しんでいた。そこに、府内(現在の大分市)から高僧・雷州禅師が訪れる。雷州禅師が深く民の患難を憐み、祈り続けると、飢饉は落ち着き、民は歓喜する。雷州禅師は、現在の海門寺付近一帯を「霊域」と定め、祈願所として沈没してしまった久光島海門寺の再興も兼ねて「寶生山 海門寺」を建立する。建立にあたり、建設費や人件費などを別府・浜脇・田の口・朝見・立石・鶴見・石垣など、7村が協力し合って負担しており、維持にあたっては7村に住む人民は飢饉から免れることを得るため報恩感謝の形として、年初めに米と麦を1升ずつ寄進しなければいけなかった。
そんな海門寺では、「施餓鬼会」と「精霊流し」が行われ、毎年同じ法式と行事を繰り返すことによって、伝統に重みを加えてきた。特に、「精霊流し」は町全体で大々的に行われており、人々は精霊船を作り、日が暮れると、「海門寺」と書かれた提灯を手に持って海門寺公園から別府駅前通りを経て、北浜より10号線を大分方面へ行列をつくり、精霊船が久光島が沈んだと言われる海上(楠港から東南約5キロメートル)に達するまで見守る。
そして、船が目的地に着いたら、火をつけた板を海中に投げて燈籠流しを演出し、船より花火を打ち上げて堤防で見送る人々に船の位置を知らせ、船に積んだ供物と板塔婆を積み込んで点火して海に流す。しかし、海上保安部から海を汚さぬようにとのクレームがついたりと、社会情勢の変遷に伴い、近年は行事のスタイルが変化していることも事実であり、江戸時代から続く300年来の伝統行事といっても、長い間に行事への付加と省略が繰り返されているのを見逃してはいけない。

 慶応三年(1867)には、幕府が長州征伐に失敗すると、全九州の幕府領を支配する日田郡代が大混乱に陥り、幕府は豊後の御預所を島原藩から雄藩の肥後藩に預け替えをした。そこで、速見郡の幕府領を預かった肥後藩は、警衛の要として別府に藩兵を駐留させる場所を探して、海門寺に白羽の矢を立てた。
『豊後国御預所一件帳』には海門寺の寺院を宿舎として借りる旨や的ヶ浜海岸付近に船舶する旨が書かれており、海門寺が幕末期の動乱から九州を守るために必要な拠点であったことが分かっている。

太平洋戦争が終わると、海門寺界隈には小さな闇市ができたり、別府に駐屯していた米兵専用のバーやダンスホールなどができたことで、米兵を相手に商売をする女性たちも多くいた。
このように、海門寺温泉が開設される前から、海門寺には色々な歴史的背景が存在していた。

 ここからは海門寺温泉(源泉名:別府市営海門寺温泉)の成分や泉質について記していきたいと思う。
本温泉は、含有する試料1kgあたりの陽イオン・陰イオンの成分が、陽イオンは、ナトリウムイオンが211.0mgと圧倒している。
陰イオンは、炭酸水素イオンが646.0mgと驚異的な数値である。したがって、泉質名は「ナトリウム-炭酸水素塩温泉」となる。
また、源泉の温度が54.7度であることから「高温泉」、溶存物質の合計が、1.364mgであることから「低張性」、pH値が7.7であることから「弱アルカリ性」であることが分かる。
そして、泉質が「ナトリウム-炭酸水素塩温泉」であることから、一般的適応症の他に泉質別適応症として、きりきず、末梢循環障害、冷え性、皮膚乾燥症などがある。

皆さんも海門寺温泉に入浴されることがありましたら、一緒に入浴されているであろう地元の方々に歴史を聞いてみてはいかがでしょうか?
きっと、興味深いディ―プな歴史エピソードを聞くことができると思います。


*温泉マイスターnoteでも情報発信してます。
https://note.com/onsen_meister/n/n5078f900e815?magazine_key=m4bd80cee2914

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