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地球のはなし  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

No.18
「ポンティングと鉄輪(1)(2)」

ポンティングと鉄輪(1)

 ポンティングとは、二十世紀の初めの頃の写真家で、英国のスコット大佐の二回目の南極探検(1910~12年)にカメラマンとして同行したことで知られている。ただし、彼自身は一年だけで帰国したので、スコットを始めとする五名の極点到達員が、その帰路、全員遭難死したという悲劇に接したのは、後になってからである。

 南極域に先立って、彼が日本に来て写真を撮ったことは、スコット隊の科学隊員チェリー・ガラードが著した「世界最悪の旅」をとおして知っていたが、その体験を記録に残していたことは、うかつにも、つい最近まで知らなかった。

 書店で偶然みかけた「英国写真家の見た明治日本」(講談社学術新書)によれば、1901年頃から1906年までの間に数回にわたって来日し、九州にも来て、熊本の水前寺公園を見物し、阿蘇山に登った。阿蘇では混浴の温泉に入っている。中岳の火口を覗き込む人たちの写真などが掲げられていて、興味深い。

 中で、吃驚させられたのは、十人ほどの男たちが入浴している温泉の写真に「鉄輪温泉」と書かれていることである。男たちは、細長い浴槽に仰向けに並び、一方の縁を枕にし、他方の縁に足をのせていて、特長的である。ところが本文には、鉄輪や別府の記録は見当たらない。

 南極滞在中、夕食後のレクチャーで、彼は日本のスライドを隊員たちに見せたそうである。件の写真が本当に鉄輪だとすれば・・・確かめたいと思っているところだ。


ポンティングと鉄輪(2)

 百年前ポンティングが鉄輪に来たかどうかを確かめたいと、7月27日のこの欄に書いた。その理由をもう一度記すと、彼の著書には鉄輪温泉の写真があるのに、本文にはその記事が無いからである。ただし、訳者あとがきに、原文の約半分を割愛したという意味の記述がある。その割愛された部分に、鉄輪や別府の記述があるかもしれない。

 原本の所在を調べようと、インターネットであちこちつついたら、神奈川大学図書館の横浜書庫に、貴重書として所蔵されていることが分かった。同図書館は一般にも公開されているとのこと。上京の機会に、アポイントも貰わないまま8月1日に図書館をお訪ねした。期末試験のため一般市民の利用は休止だったにもかかわらず、格別の便宜で原本を閲覧させていただいた。400ページ弱の大部である。

 ともかく阿蘇山の章を見ようと頁を繰ったら、一分もしない内に、別府と鉄輪を書いた頁にいきなり出会った。ポンティングは、九州の旅の終わりに、確かに別府と鉄輪に来た。

 本文には、前回紹介した入浴の写真の説明がある。浴槽の深さは、約15インチ(40センチほど)と浅い。男用と女用があるが、老いも若きも男も女も入れ混じって入浴し、世間話に興じている、とある。

 先日、鉄輪愛酎会の河野氏から、鉄輪の公衆温泉の古い写真を見せていただいた。浴槽の構造はポンティングのものとよく似ている(撮影も彼か?)。百年前は、浅い浴槽に寝転んで入浴する風習があったようである。

【ポンティング】
19世紀末から20世紀初め頃に活躍した英国出身の写真家
(詳細は、別府温泉事典「ポンティング」をご覧ください)

  - 「大分合同新聞夕刊」  2006年7&9月 -


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別府温泉地球博物館理事長の由佐悠紀が執筆し、新聞・雑誌などに掲載されたものを順次ご紹介します。