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地球のはなし  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

No.32
「旅ゆけば」

(その1)
 駿河の国は清水港を、20年ぶりに訪れた。同じこと、似たようなことが続けて起こるのは世のならいらしく、2回も行く羽目になった。日本晴れにお茶畑。松原越しの富士の山。次郎長一家の墓所。というと、これはもう、浪花節の世界そのものであるが、ひと節うなってごらんに入れようというつもりではない。あれは、とてつもなくむずかしいものだ。
 この旅も含めて、1986年の後半は、旅行続きであった。ほとんどが列車の旅である。別府駅の改札口を出ると、そのままみどりの窓口に直行して、次の旅の切符を買ったことさえある。度重なる国鉄利用の廉(かど)により感謝状を貰えないものかしらんと思ったほどで、さすがに少々うんざりの体になった。
 こんなことを家人に言うと、あちこちに行けるからいいじゃないのと、うらやましげであるが、それほどのものではない。学会や会議などで、たまたま行く機会があったに過ぎないのである。時間があれば、駅の周辺を歩きまわってみることはあっても、名所旧跡などの観光地めぐりをする余裕はなく、用が済めばすぐさま帰路につくという、いたって味気ない旅ばかりである。
 そんな旅でも面白いのかというと、大変に面白い。むしろ好きである。それも列車の旅がよい。文庫本を片手に座り込み、ときどき缶ビールでのどをしめらせながら、窓の外に移りゆく景色を眺めては、次の駅はあと何分かと時計をのぞくときに感じるえも言われぬ気分は、何ものにも替え難いほどだ。
 しかし、その駅が近づき、速度が落ちて停車すると、とたんに落ち着かなくなる。早く発車してくれという気になる。動き出すと、また気分が落ち着いて、充足感さえ覚えるのである。どうやら、私にとっての列車の旅のだいご味は、この激しい気分の落差の繰り返しにあるらしい。ほかの乗り物だと、こうはいかない。
 それにしても、列車が走っているときに感じるあの充足感は、何に由来するのだろう。考えてみれば、自分自身はただ座っているだけで、何もしていないのだ。ひたすら目的地に向かっているというそのことを、何かしら意味のあることだとでも錯覚しているのだろうか。

(その2)
 年度末が迫ってきて、今年もまた事務書類の作成や報告書の締め切りなどに追われる羽目となった。こんなことになるのは前から分かっていたことなのに、先延ばしの悪癖は相変わらずなものだから、とうとう、この10日間は何が何やら分からない、てんてこ舞いの仕儀に相成っている。あと10日ほどは、そんな状態を続けなければならないようで、時間が足りるのかしらん。加えて、会合に出席するため旅にも出かけなければならない。というわけで、先日、寝台特急彗星に乗り、新大阪で新幹線に乗り継ごうとしたら、改札口で大分大のM先生の後ろに立っていた。
 もう5年くらいも前のことだが、新幹線の食堂に入ったら、九大のU先生が座っておられた。そのころ、南極からの帰途、成田から東京に出て、新幹線に乗ろうと、丸ノ内側の横断歩道を渡っていたら、逆行してくるN氏に会った。彼は筑波の住人である。おととしはニュージーランドからの帰りに、小倉駅で高校時代の同級生I君にぶっつかりそうになった。昨年は、札幌の街角でW氏とすれちがい、その数日後、東京駅の八重洲側から丸ノ内側へ抜ける通路で、京大のT先生に会った。
 もっとも驚いたのは、叔父に出会ったことである。15年ほども前のこと、甑島にある小池の調査をするため、豊肥線で熊本に出て、鹿児島本線に乗り換え、客室のドアを開けたら、なんだか見覚えのある後頭部がある。まさかそんなはずはないと思いながらも、気になってしかたがないので、人ごみをかき分けるようにして近づいてみると、やっぱり叔父だったのである。かれこれ10年ぶりの対面だった。
 繁華街、駅、列車の中など、人が集まる所ほど、知り合いと接触する可能性が大きくなるような気もしないではないが(数学的にどうかは知らない)、まるで打ち合わせでもしたかのように、同じ場所と同じ時間を共にするというのは、不思議でしようがない。ふだん、超自然的な話は無視している私でも、こんなことがたび重なると、その存在を信じたくもなってくる。これも旅の楽しみのひとつで、ときには、それを期待してでかけるのである。ただ、私が遭遇するのは、どうも男性ばかりで、これまでのところ女性との縁がまったくないのは、いかにも残念至極ではあるが。

  - 「大分合同新聞」 1987年 1&3月-



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