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地球のはなし  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

No.33
「人間測定器 -ちょっとした実験-」

 私たちが住む大地が球形であることを最初に述べたのは、三平方の定理で有名な、古代ギリシャのピタゴラス学派の人達だったとされている。彼等がそう考えた理由は、神が造りたもうた大地は完全なもの、すなわち球でなければならないという思弁的なものであったらしい。それから2000年も経って、ニュートンは、地球は赤道方向に膨らんでいると主張した。ところが、実際に大掛かりな測量を行って、それが正しいことを証明したのは、彼の母国イギリスではなく、フランスの科学者たちだったのだから面白い。

 とは言え、その膨らみはわずかなもので、地球は完全な球に近いと思っても、通常は差し支えない。そして、この測量によって決定された地球一周の長さは、およそ4万キロメートルであった。いやにきっちりした長さだが、実は、1メートルという長さは、このときに測られた地球の大きさに基づいて定められたのだから、きっちりしていて当然なのである。ただし、現在の1メートルは、別のやり方で定められているので、少し違う。

 この地球一周の長さに、円周と半径の公式をあてはめて計算すると、半径はおよそ6400キロメートルになる。地球は小さな星などと言われるが、どうしてたいした大きさである。
 さて、こういうクイズがある。
 「赤道沿いに地球を一周して、たるまないように長いひもをきっちりと巻きつける。次に、このひもに、1メートルの長さのひもを継ぎ足す。長くなったひもは当然たるむので、四方八方からぴんと引っ張る。このとき、地表とひもの間にできる隙間はどれほどか?」
 答えは…およそ16センチである。計算すると、確かにこうなる。しかし、この値は大きすぎるような気がして、なんとも信じ難いというのが、正直な気持ちである。ほんとかね、と思ってしまう。おそらく、4万キロと1メートルの間にある、あまりにも大きな違いがそう思わせるのであろう。この結果をみると、人間の感覚なんて、あまり当てになりそうもない。

 かつてのたいていの少年雑誌に登場したクイズのなかで、今でも忘れられないのに「鉄1キロと綿1キロは、どちらが重いか?」というのがある。回答する方は、なんだか変だ、罠があるのだろうと思うのだが、この質問に対しては、躊躇しながらも「同じです」と答えざるを得ない。それを確かめた上で、質問者は「じゃあ、鉄を頭の上から落としてもよいか?」とたたみこみ、回答者を慌てさせようという趣向である。
 どうして、変だと思ったり慌てたりするのだろうか。綿1キロが頭に落ちてきたって何ということはないが、鉄だと大怪我をしそうだと恐れるのは、言い換えると、鉄と綿は違うと思うのは、ごく当たり前のことで、この感覚は正しいようである。しかし、考えてみれば不思議でもある。両者は、確かに同じ重さなのだから。
 それぞれの物体には、それが固いとか軟らかいとか、重いとか軽いとか、熱をよく通すとか通さないとか……それぞれに固有の物理的・化学的な特性が備わっている。こうした諸々の特性を、おおまかであるにせよ、人間はかなり簡単に判定できる能力を持っていて、その能力ゆえに、変だと思ったり慌てたりするのであろう。たぶん、このような能力の多くは、鉄とはこうしたもの、綿とはこうしたもの、というそれぞれの特性を、日常生活の経験を通して学び取った結果、いわば後天的に培われたのである。

 もちろん、人間の判定能力のいくつかは、先天的なものであるに違いない。物が重いか軽いかは、それまでに経験していなくても、その物を持ってみれば、すぐ分かるような気がする。ただし、それが1キロか1.1キロであるか、細かいところまでを判定するのは、よほどの訓練をしても、まず無理に近い。そこで、秤が発明されたわけなのだろう。
 鉄1キロと綿1キロを秤に乗せると(もちろん、別々に)、両方とも1キロという答えが出る。実に正確である。しかし、それ以上の情報は出て来ない。つまり、秤は、鉄と綿を区別することはできないのである。このことからすると、秤の方が人間より優れているとは必ずしも言えず、この種のクイズのような判定では、明らかに人間の感覚の方が勝っているようにみえる。
 もう少し、ここのところを実験して調べてみよう。実験と言っても、大したことではない。鉄と綿を、掌に乗せてみるだけである。鉄と綿が手元にないときは、たとえば、生け花に使う小振りの剣山とクッションでもよい。重さが同じかどうかも気にせず、そこらへんにあるもので結構である。2つをそれぞれ左右の掌に乗せてみよう。ほとんど全ての人が、剣山のほうが重いと感じるに違いない。右と左を交代しても結果は変わらないと思う。

 せっかくだから、クッションの上に剣山を乗せて、2つを一緒に持ってみよう。おかしなことに、剣山だけのときよりも、軽いように感じるはずだ。よほどの異常感覚の人でない限り、この簡単な実験から感じる重さは、剣山、クッション+剣山、クッション、の順番になると思う。
 実際の重さが、ほんとにそうかどうか、台所か風呂場にある秤で計ってみよう。
 私は直径5センチあまりの剣山を使ったが、250グラムだった。クッションは、縦と横がそれぞれおよそ40センチ、厚みが12センチ、中身はパンヤとか言うのだそうな。430グラムであった。
 この実験をしてみて、いまさらながら驚いたのだが、クッションの方が倍近くも重いのである。それなのに、剣山の方が明らかに重いと感じた。言うまでもないことだが、実際の重さは、クッション+剣山、クッション、剣山、の順である。人間の感覚とは、まるで違う。

 いったい私たちは、物を持ったときに、何を感じているのだろう。どうも、重さとは別の特性を測定しているらしいのだ。それは、物理的に言えば、物体の体積と重量を合わせた特性-両者の比、すなわち密度-のようであり、また、材質そのものさえも、なんとなく判別しているようなのである。
 私たち日本人は、この感じを表現するのに「ずっしり」あるいは「持ち重り」という、実に趣のある言葉を持っている。これらの言葉を発見し定着させた昔の人達の、感覚の豊かさに敬意を払って、「密度」の代わりに「ずっしり度」とか「持ち重り度」という述語を採用していたら、しちめんどうくさいと敬遠されがちな物理学も、いくぶんかは親しみのあるものになっていたかもしれない。


※長さと重さの定義を知りたい方は、NMIJ(計量標準総合センター)のHPを参照下さい。
【メートルの定義】https://www.nmij.jp/library/units/length/
【キログラムの定義】https://www.nmij.jp/library/units/mass/

  - 「月刊アドバンス大分」 1990年10月-



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