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地球のはなし  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

No.38
「オニックス川ステイクス」

 私の専門分野は陸水物理学ということになっている。そんなのがあるのかと思われる方もあろうが、簡単に言えば、陸上の水を対象にする。しかし、湖の水・河川の水・地表を流れる水・地下にある水・それに高山や極地にある氷も水といえば水なのだから、こんなに種々さまざまな水のすべてに、ひとりの研究者が関わり合うなんて、とてもできるはずがない。と言うわけで、私の主な対象は、地下水の一種の温泉水である。
 あまり一般的でない、はっきり言ってマイナーな分野だからであろう。どうしてそんなものを研究しているのか、その動機は何だったのかと、ときどき質問されることがある。なんとかかんとかもっともらしい理屈をつけて返答するのだが、答えたあとで、ほんとにそうだったのかと自問するのが常である。

 あるフランスの高官が大彫刻家ロダンに会って、一体なんのためにこんなことをするのですか、というようなことを聞いた。何のためでもありません、ただこんなことをしているだけです、というのがロダンの返事だったそうである。この話はたしか高田 保の『ブラリひょうたん』の中にあった。高校時代、どういう方面に進んだらいいのか、文科系か理科系かさえもさっぱり分からずにいたとき、「縁なき衆は度し難し」の例として書かれていたこの短いエピソードはなんとなく心に響いた。
 なにもロダンと比べようなんて、大それたことを言うつもりではない。人それぞれが抱く興味、あるいはそれぞれが選ぶ職業などというのは、どうしてそうなったのか、本当のところは誰にも、とくに本人には説明のしようがないものらしい、というふうに私は読んだ。そして、それならば、進路のことをそう思い悩むこともないのではなかろうか、なりゆきにまかせてもいいか、と少々気が楽になったのだ。この気分はその後も続いていて、今の分野にたずさわっているのも、どうやらその果てのような気がするのである。
 とは言え、まったくその気が無いことを選ぶわけはない。子供の頃の記憶をたどってみると、私には水に関するものがかなり多くて、もしかしたらそれが遠因だったのかとも思う。

 昭和20年の8月か9月、終戦直後に天の橋立の近くから、山陰線を通って父の故郷の長崎に引揚げた(あの頃の国内での移動も引揚げと言うのかどうか)。途中、線路が大雨で寸断されていて、渡し舟で大きな川を渡った。そのときの水面の青さが、水に関する最初の記憶である。その長崎の田舎で、井戸掘りを見た。穴の底の職人がつるはしを打ち込むと、水がどっとばかりに吹き出した。
 中学2年のときだったと思う。その頃は長崎市内に移り住んでいたのだが、中心部を外れるとまだ水道の無い所があって、私の家の一帯がそうだった。山の中腹に横穴を掘って、それから出てくる湧水を生活用水としていたのである。その水はどんなに日照りが続いても涸れることが無かった。どうしたいきさつだったのか、たぶん理科の時間にそんなことを少々得意げにしゃべったのかもしれない。先生に命じられて、その量と温度の観測を1年間続けるはめになった。今にして思えば、これが私の初めての地下水調査ということになるのであろう。

 雨が降ると、湧水の量が増えた。しかし、すぐ増えるわけではなく、時間が遅れた。雨が止むと、その量は減ったが、やはりすぐ減るのではなく、もとに戻るまでにはかなりの時間がかかった。その時間のずれがどの程度だったかは、覚えていない。ともかく、そんなことを知った。
 この時間の遅れをもたらす大きな要因が、地層が水を貯えるという性質をもっているためだ、ということを知ったのは、もちろん、ずっと後になってからである。ちょっと敷衍すると、貯えるという性質のあるところには、原因と結果の間にかならず時間の遅れが起こる。自然現象だけに限らず、経済現象をはじめとするさまざまな社会現象に現われる時間の遅れも、原理は同じなのである。
 だから、いろいろな事柄について将来を予測するためには、それぞれの現象に見合う、この性質を知っておかなければならない。科学者が長い時間をかけて観測することの目的のひとつは、この性質を知ることにあるのだが、たくさんの要素が複雑にからみあっていることが多いので、なかなかうまく行かないのは世の常である。

 何度も登場する南極のドライバレーで一番驚いたことは、川が流れることであった。12月ともなると、日差しがかなり強くなる。一日中照っているし、晴天の日が多いから、太陽からのエネルギーは大変なものだ。それに谷が深いから、大陸の奥から吹き下ろしてくる風は、ちょうどフェーン現象のようになって温度が上がる。この2つの効果で、気温がとてつもなく上昇するのである。私が経験した最高気温は10度を超えた。
 こんなことはめったにないけれども、零度を超える日が何日も続く。そうすると、氷河が融けて川が流れ出し、その末はバンダ湖に流れ込む。この川はほとんど毎年のように現われるので、オニックス川という立派な名前が付けられている。
 日の照りぐあいも風の吹きぐあいも年ごとに違うから、流れ始める日も、その流量も年ごとに違う。
 つまり、オニックス川の流れ方は、その年その年の天候に左右される。この流れ方を長年観測したら、気候と氷河の融け方の関係が分かる筈だ。もしかしたら、氷河期が出現するメカニズムを解く鍵が得られるかもしれない。というわけで、ニュージーランド隊はこの川の観測を続けている。

 氷河期うんぬんは夢物語としても、何年かのデータがたまったら、天候の様子からこの川の流れ込み始める日くらいは予測できるだろう。と思ったのだが、ことはそう簡単ではない。広い地域の熱や水を貯える性質などを正確に見積るのは、至難の技なのである。
 なに、がっかりすることはない、気長に待とう。それにしても、待つだけとは芸が無さすぎる。カンを働かせようという議論があったかどうか。
 10年ほど前に、バンダ湖への流入日時を当てる楽しい賭けがあった。1等賞は、クリスマスにヘリコプターでバンダ見物というささやかなものであったが、今でもあのステイクスは続いているだろうか、そしてオニックスは今年も流れているだろうかと、この季節になると、気に掛かる。

オニックス川『ウィキペディア(Wikipedia)』

  - 「大分合同新聞」 1990年1月-



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