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地球のはなし  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

No.42
「ナチュラルウェイを行けば…」

 初めて買ってもらった雑誌は、講談社発行の幼年クラブである。ひらがな主体の本で、それを読めたのだから昭和22、3年頃、小学校の1年か2年になっていた筈だ。というのは、文字教育がひらがなから始められるようになったのは私たちの学年からであり、私自身は学校にあがるまでカタカナの自分の名前と数字の4だけしか知らなかったという確かな記憶があるからである。いまでは入学前にひらがなを読めて書けて、そのうえ簡単なたし算もできるのが普通らしいから、ほんとにのんびりしたものであった。というような言い方は、実は当っていない。戦後の混乱の中で、当時の親たちは日々の暮らしを送るのに懸命で、うちの子供の字のおぼえかたがよその子より遅いとか早いとか、思いわずらったり嬉しがったりする暇なんか全然無く、のんびりどころではなかったというのが実情だったのだ。

 それから数年の間、両親はかなり無理をして毎月定期的に買ってくれた。ラジオを持っている家庭はごく少なく、私の家にも無かった。新聞をとっていたかどうかもあやしい。だから幼年クラブは、教科書を除くと、唯一の知識源・情報源であったわけで、次の号が来るまでの1ヶ月の間は何度も何度も読み返して、そらんじてしまうことさえあったほどである。ところがその具体的な内容がどうであったかは、今となっては残念ながら判然としない。原 一司のヨウチャンという漫画が面白くて毎月待ち遠しかったこと、戦災孤児の話とか、靴みがきや新聞配達やなっとう売りの少年の話が載っていたこと、なぞなぞのページが必ずあったこと、サトーハチローや久米元一などの作家に心底からあこがれていたことなどをぼんやりと思い出すくらいである。

 ただ、なぞなぞのいくつかは覚えている。こんなのがあった。子供のときは真っ黒で、大人になると赤くなり、年をとれば白くなるもの。上は大水、下は大火事。私がかなり好きだったのは、トンチ外国語とでもいうのであろうか、「水道は? ヒネルジャー」というような、たあいもない言葉遊びであった。はじめのうちは、本当にそれが外国語だと信じていたのだから、罪作りと言えば、そうかもしれない。しかし、母が毎朝汲んでくる井戸水しか知らなかった田舎の子供にとって、都会には水道という便利なものがあるというのは、重要な情報だったのである。今でも非常に鮮明に覚えていて、何かのきっかけでふっと浮かんでくるのに、コオンブスというのがある。このような当時のなぞなぞのいくつかは、その時代であったからこそ成り立っていたのであって、たぶん今の子供には分からず、したがって消え去ってしまっているのではなかろうかと思う。

 もちろん、雑誌などのクイズ欄から消えないでいるものもある。代表的なもののひとつは、迷路であろう。大人の週刊誌にも堂々と登場しているのだから、クイズの大立者である。よくまあ種が尽きないものだと感心するのだが、ちょっと線を増やしたり、袋小路の位置を変えれば新題が生まれるのだから、出題するのは楽なのかもしれない。などとえらそうなことを言っているが、作ってみるつもりは全然ない。なぜなら、私はこれが苦手だったからだ。簡単なものは解けても、少しこみいってくると目がくらんで諦めてしまうのが常であった。知能テストにも出てきて、考えているうちに時間が無くなり、さんざんな結果になったことがある。以来、知能テストに疑問をいだき、あんなもので頭の良し悪しが分かるものかと、子供心に大いに批判的になった。

 知能テストの是非はさしおき、迷路の話。近ごろは、ますます手が込んで、とうとう巨大な野外模型も現われて、いろんなイベントの呼び物として人気があるようである。紙の上の迷路は、上から全体を見わたせるのだから、解答者は神様の立場にある。道が見付からなければ、私みたいに諦めればよい。しかし、野外の巨大模型で出口が見付からなかったらどうなるのだろう。多分、子供のときの私は、しりごみしたにちがいない。そんな風に迷路不得手であった私が、どうしても迷路に入らなければならなくなった。その場所は先月紹介した南極の谷にある。

 バンダ湖のある谷は、広いだけでなく深い。谷底から周囲の山々の頂までは1000メートル以上もある。谷の断面はU字型をしているので、この谷が氷河によって削られてできたこと、言い換えれば、昔は南極らしく氷河に覆われていた時期のあったことが分かるのだが、いつの頃からかその氷河が無くなってしまったのである。どうしてそのようになったのか、理由は分かっていない。

 谷の奥にはかつての氷河の名残りがあり、それよりさらに奥は大陸の広大な氷床へとつながっている。ヘリコプターの上から見ると、その氷河の末端部に異様な地形が広がっていた。無数の丘と谷がモザイクのように錯綜し、いちど入ったらさいご、とても抜け出せるものではないと思えるほどに複雑きわまりない地形であった。ここを見る人は、誰でもがそう感じるのであろう。迷路-ラビリンスという名前が付けられている。この複雑な地形は、氷河が一方では岩盤を削り、一方では運んできた砂礫類をあとに残して、作り上げたのである。地面のへこんだ所には水がたまって、小さな池になっている。それぞれの池の水は、あるものは海水より濃いほどに塩辛く、あるものは塩分をほとんど含んでいない。なぜそんなにいろいろの水があるのか。水を研究する人達には、つきせぬ魅力のある所なのである。

 ヘリコプターが私達を氷河の末端に降ろして飛び去ると、あとは徒歩だけである。あちこちの池に立ち寄っては、その大きさや深さ、水温やpHを測り、分析のためにポリビンに水試料を採ってリュックに詰める。複雑ではあるが、同じような地形が延々と続く。そのうち、おかしなことに気がついた。この地域を歩いた人は、数えるほどしかいない。それなのに、時々人が歩いたと思われる痕跡に出会うのだ。ある分かれ道で、その足跡とは別の方向に行っても、いつのまにかまた足跡と出会う。かなり気を使って行動するためでもあろうが、そのようなかすかな足跡が道しるべとなって、道に迷うことはなかった。

 バンダ湖の調査の合間に、地形調査を兼ねて谷のあちこちを歩き回った。この地域に詳しいニュージーランドの調査隊員とルートを話し合うとき、彼らはしきりに、あのナチュラルウェイを行けば…というような表現をした。ラビリンスで合点がいった。自然の地形は、人が自然に歩けば、誰でもが自然に行き着く所があるように作られているらしい。その行き着く先がどうであるか、それが運なのであろう。

 ふと思い出した。ずっと以前「目には目を」という映画があった。ラストシーンで、執拗な復讐者に致命的な打撃を与えたクルト・ユルゲンス(古いねえ)が、果てしない熱砂の砂漠に向かって、絶望的なナチュラルウェイを歩き出す。

 (念のため解答を:炭、五右衛門風呂、子守り)


南極・ビクトリアランド・ドライバレー地域の地図
 細点の範囲が無氷雪の露岩地域


ラビリンスの景観-1


ラビリンスの景観-2


ラビリンスの景観-3

  - 1989年9月-



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