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![]() 秋葉神社界隈:南から北を望む.手前の道は拡幅された秋葉通り. 北への道は旧国道.この写真の手前側は官公庁の中心部であった. 萬屋呉服店は、白い車の辺りにあったようだ.  | 
この頃、長野県上諏訪温泉でも、「安房掘り」という方法で温泉井が掘削されました(稲垣、1990)。明治13(1880)年のことですから、別府の方が1年早かったことになります。おそらく、神澤儀助の穿湯は、温泉としては、日本はもとより世界でも最初の掘削泉(温泉の種類を参照)だったのではないかと思われます。
神澤家の「湯突き」と上総掘り異聞
 小口径の井戸掘り技術は、飛鳥時代(7世紀頃)に中国から伝えられ、奈良盆地で最初の井戸が掘られたという記録があるそうである。それから千年後、享保年間(1716~1735)に、江戸で初めて深さ30mほどの掘抜き井戸が馬場先門付近で掘られた。その後、大阪で井戸掘りの工具が改良されて、その技術「大坂掘り」が各地に広まり、地名にちなんだ井戸掘り技術が生まれることとなった。「上総掘り」もその一つで、ほかに「丹波掘り」や「名古屋掘り」があった〔村下(1966)などによる〕。「安房掘り」もそうであろう。
 神澤儀助は、明治の初めころ秋葉町に萬屋呉服店を開いたが、もともとは丹波の小間物行商人であったという。もしかしたら、神澤儀助本人は、「上総掘り」ではなく、「丹波掘り」で湯突きをしたつもりだったかもしれない。
 なお、松田の報告書には、同じ場所で明治35年に掘削された深さ11間(約20m)の穿湯が挙げてあり、記事として「以前他ニ穿井セシモ漸次減量セシニ依リ上記ノモノニ掘リ換ヘタリ」と記されている。この2代目の井戸の所有者は神澤儀助の長男・神澤又市郎で、後に初代の別府市長を務めた。
(注:上に出ている町名は、現在のものである。)
安部 巌(1987):「別府温泉湯治場大事典」、創思社出版.
稲垣益次(1990):温泉今昔物語 その5(上諏訪温泉)、地熱エネルギー、15巻.
別府地球物理学研究所(1937):別府旧市内温泉概観(Ⅰ)、地球物理、1巻1号.
外山健一(2004):別府温泉「突き湯第一号」解明、別府史談、18号.
外山健一(2012):別府における「上総掘り」について、別府史談、25号.
村下敏夫(1966):水井戸の話(2)井戸の歴史、地質ニュース、1966年3月号.