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温泉科学  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

2013年3月12日更新

第7回
日本での地球科学的温泉研究のあゆみ(5)

別府温泉での研究-大正末期から昭和初期〕
 1917(大正6)年11月、京都帝国大学理科大学に地球物理学科が設置されることとなり、翌1918年2月、物理学科の教授であった志田順(1876~1936)が火山・温泉・地熱に関する研究の場所を求めて大分県別府町を訪問し、武田町長と研究所設立の事を話し合いました。これが、別府市にある京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設(以下、地球熱学研)の淵源です。
 その4年後、1922年7月より研究所本館の建設工事が始まり、翌1923年12月竣工、明けて1924年1月26日より別府地域の予備調査と事務が開始されました。ここに、日本における温泉の地球物理学的な研究が、その拠点を得て、本格的にスタートしたと言えるでしょう。この日は、皇太子殿下(昭和天皇)御成婚という、めでたい日でした。
 研究所の開設を全面的に支援した別府町は、この年の4月1日に別府市となりました。当初「別府地球物理学研究所」と通称された地球熱学研は、別府市とともに歴史を刻んできたと言えます。
 正式の開所式は1926(大正15)年10月28日に挙行されました。このとき志田教授が述べた謝辞には、私たちの地球観を革命的に変えたプレートテクトニクスの前触れともなる内容(深発地震存在の提唱)が含まれており、その意義が高く評価されています。


京都大学地球熱学研究施設【登録有形文化財(建造物)1997】 (画;財津秀邦)


【温泉総調査】
 別府地球物理学研究所(以下、地物研)の最初の仕事は、別府旧市内(大字浜脇と大字別府)の温泉台帳の作成でした。市内を軒別に訪ねて源泉の有無を問い合わせ、実在するものは、その所在地、所有者、掘削年月日、最近の加工の有無、井戸の深さ、埋設管の種類と口径、利用状況などのほか、季節変化や潮汐の影響の有無が記載され、湧出量・泉温が測定されました。
 1924(大正13)年の最初の調査では、源泉総数は1292、活動している源泉は826、その内自然湧出泉は18、他は全て掘削泉でした。同様の調査は1933(昭和8)年にも行われ、得られた結果は、前回の調査結果と併せて、京都帝国大学地球物理学教室が発行した学術誌「地球物理」の創刊号(1937年)に、「別府旧市内温泉概観(Ⅰ)」の標題で掲載されました。
 これらの調査結果から、1933年における1日当りの流出熱量は7.4×108kcal(35 MW)と求められています。また、107ヶ所の温泉について化学分析が行われ、1日当りの流出物質量は固形物だけでも約20トンと見積もられました。こうして、市内温泉の実状が初めて明白になったのです。

表 1924年と1933年の温泉総調査の比較

年次 源泉総数 活動源泉数 最高泉温 最深井戸 日当り総湧出量
1924 1292 826 68.6℃ 165m 16,320m3
1933 1394 756 71.5℃ 274m 18,790m3


1924年および1933年における別府旧市内の源泉分布


【地質学的研究】
 最初の学術研究は、鈴木政達助教授による別府地域の地質学的研究でした。鈴木助教授は、それまでに蓄積されていた調査・研究結果を取りまとめるとともに現地調査を行い、論文「別府附近の地史と温泉脈」を別府市誌(昭和8年版)に発表しました。この中には、この地域の火山岩の種類と分布、火山活動、地殻変動(注)、温泉地獄の種類と分布が述べられており、基本的な部分は現在も通用します。この重要な論文が学術誌ではなく行政誌に掲載されたのは、現在からみれば不思議ですが、当時は発表する場が限られていたのでしょう。
 鈴木助教授は、2年後、病を得て逝去しました。この後、地物研における調査研究は主に温泉現象の地球物理に進み、地質学的研究は他の研究組織にゆだねられました。このような事情もあって、鈴木助教授の論文は埋没したかもしれなかったのですが、さらに2年後の1937年、京都帝国大学地球物理学教室が発行した学術誌「地球物理」の第1巻第1号に、志田教授の開所式挨拶に続いて、最初の論文として収録され、研究者に知られるようになりました。


別府地域の温泉脈(鈴木政達による)


(注)火山岩の種類と分布、火山活動、地殻変動
 鈴木助教授の所論を箇条書きで記すと、次のようになる。

  1. 別府地域は火山地帯であり、地質学的に、日出-豊岡-塚原-日出生台を連ねる線より北側(北帯)、別府-堀田-由布院-川西を連ねる線より南側(南帯)、およびその中間部(中央帯)の3帯に区分される。
  2. 北帯と南帯の岩石は同種の輝石安山岩であるのに対し、中央帯の岩石は角閃石安山岩である。
  3. この地域の火山活動は第3紀末か第4紀の初頭に始まり(注;200~300万年前)、輝石安山岩の溶岩が流出した(前期の火山活動)。
  4. 前期の火山活動の後、中央帯は地殻変動のため沈降した。
  5. 地殻変動の終息後、中央帯内で再び火山活動が起こり、角閃石安山岩の溶岩が流出した(後期の火山活動)。

 この論文の最後は、次のように締めくくられている。
「本地域は火山地帯なると同時に地殻変動地帯にして、両者は相俟ちて茲に凡てに優越なる温泉地帯を形成せるものなり。」

有史時代の地変:瓜生島の沈没
 別府湾沿岸では、1596(慶長元)年の豊後地震によって瓜生島(大分西港の辺りにあった沖ノ浜と考えられている)が沈没したという事件が語り伝えられてきた。鈴木助教授は、この地変を考察し、津波による流失説を退けて、断層運動による陥没説を採っている。
 後年、1970年代に、瓜生島調査会(執筆者も会員である)は海底下の地層の音波探査を行って、沖ノ浜と目される海域で地崩れの跡を検出し、地震の揺れによる液状化現象と、それに続く津波によって流失したものと結論づけている。また、別府湾の北部、日出沖で発見した断層群のひとつが、この地震の震源であったと推察している。

執筆者由佐悠紀)

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