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温泉とツーリムズ 人材育成部門 中山 昭則

2012年7月31日更新

第1回
「温泉地はいつ頃から観光地となったのか??」

今回は別府温泉を語るアプローチとして、温泉地が観光地となった経緯について述べていきます。この件については諸説がありますが、ここでは有力な根拠の一つを示したいと思います。
 時は江戸時代の文化二年(1805年)、箱根湯本温泉での出来事です。当時は温泉といえば大抵湯治のためのもので、基本は「湯治は一廻り(7日間)が基本で箱根は三廻り」というものでした。
 しかし、箱根湯本の湯屋は1泊の客を受け入れていました。これに対して東海道の小田原宿の旅籠経営者たちは「これは我々旅籠の領域を侵犯するものである」と反発し訴えました。この訴えに対して箱根湯本側は「元々ここは往還路で、古くから1・2泊の客を受け入れてきた」と反論したのです。
 結果は箱根湯本側の弁明が受け入れられ、ここに気軽に温泉浴を楽しめる『一夜湯治』が正式に認められるようになったと言われています。そして、「大山講」や「富士講」の『精進落とし』として温泉を楽しむ庶民が増えたのでした。
 別府温泉が温泉観光地としての体裁が整うのはそれから百年ほど後のことです。ここは「講」と呼ばれる団体客の受け入れというよりも、観光施設の整備によって発展していったという独特の経緯を持っているといえるでしょう。



参考文献

富田昭次『ホテルと日本近代』青弓社.2003.143-144pp.