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温泉科学  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

2014年1月8日更新

第11回
日本での地球科学的温泉研究のあゆみ(9)

〔別府温泉での研究-明治末から昭和前半、さらに近年まで〕

【泉温と湧出量の関係】


【明治38(1905)年の調査】

カテゴリー「温泉科学 第8回」で、海岸近くにある自噴泉では、湧出量と泉温に潮汐影響〔湧出量は満潮のときに多く、干潮のときに少ない;泉温は満潮のときに高く、干潮のときに低い〕が現われることを述べました。この現象は、「湧出量が多いとき泉温は高く、少ないとき低い」とも表現できます。同様の関係は他にも見られ、明治38(1905)年に鉱山監督官・松田繁は、別府温泉と浜脇温泉での調査に基づいて、いくつかの実例を挙げ、湧出量が多いと高温になる理由を、「湧出量が増えると、温泉水が地中を早く上昇するので、途中での冷却が少ないからだろう」と説明しています(下記を参照)。

松田繁の説明(松田,1905)

「(湧出量ガ増スト)湧出量ノ少ナキ時ヨリモ地中ヲ上昇ノ際四周ヨリ温度ヲ奪ハルルコト少ナキコトニ依ルナラン、以下皆同一ノ理由ニテ湧出量ノ増加ニ伴ヒ高温ヲ呈ス」

実例

  1. 潮の干満(潮汐影響):既述
  2. 天候(降雨影響):降雨時に湧出量が増し、泉温が上昇した。
  3. 季節:夏期とくに梅雨の時期に湧出量が多く、泉温は高い。春秋・冬期は湧出量が少なく、泉温は低い。
  4. 流水の多少:浜脇温泉で、河水の増減が湧出量(および泉温)を変化させた。
  5. 溝渠の開設:浜脇の東温泉および竹瓦温泉の近くで溝渠を設けたら、溝渠中に温泉が湧出し、近辺の温泉では湧出量が減少して、泉温が低下した。竹瓦温泉では、対策工事を行ったところ、回復した。

【大正14(1925)年の観測】

 松田の報告から20年後に開設された京都大学地球物理学研究所は、数多くの現地調査を実施し、多様で詳細なデータを収集しました。そのうち、潮汐影響の実例は、「温泉科学 第8回」に紹介されています。
 他方、「温泉科学 第9回」には「湧出量に対する降雨影響」の観測結果(1925~26年)が示されていますが、本稿では図1に、別の温泉で同時期に観測された湧出量と泉温の変動を掲げます(瀬野・西田,1938)。
 図中の上方の2つは海岸から数100m離れた場所の温泉で、1925年9月における湧出量の急激な増加は記録的な豪雨によるものです(第9回の付図参照)。これに並行して、泉温も上昇しています。
 下方の3つは海岸近くの温泉で、豪雨の影響ははっきりしません。その代わり、潮汐影響が現われ、湧出量は週毎に上下し、さらに、うなりに似た変動が認められます(第8回参照)。そして、これらに応じて、泉温も同様の変動をしています。


図1 湧出量と泉温の週1回観測結果(1925年4月~1926年4月).
両者の間に明瞭な並行関係が認められる.


【湧出導管中における温度鉛直分布の観測】

 以上に述べた湧出量と泉温の並行性については、松田(1905)と同様の見解が述べられています。それから10年余が経った1936年に、冷却現象を検証するため、導管中の温度鉛直分布が測定されました(瀬野・西田,1938)。温度測定は、特製の真鍮製容器に装入した留点温度計を導管中に下ろし、測定深度に5分間放置したのち、手繰り挙げて地表で目盛を読むという方法で行われました。

 先ず、図2に、湧出口での温度(泉温)と湧出量の関係が示されています。先に記したように、湧出量が大きいとき泉温が高いという、明瞭な関係が認められます。


図2 湧出口における温度(泉温)と湧出量の関係(1936年4月および8月).
両者の間に正の相関関係が認められる.


 次に、図3に、この一連の測定の目的である温度鉛直分布が示されています。見られるように、導管中の温度は明らかに上方ほど低く、温泉水が上昇するにつれて冷却されていることが分かります。また、各深さにおける温度の変動幅は、下方ほど狭くなっていて、ある一定の温度に収束するような傾向がうかがえます。


図3 湧出導管中の温度鉛直分布の観測例(1936年4月および8月).
温度が上方ほど低いことは、温泉水が湧出途中で冷却されていることを示す.
破線:実測された温度,実線:数理モデルによる温度.



【湧出導管中における温度鉛直分布の数理モデル】

 観測された「温泉水の湧出途中における鉛直温度分布」を量的に理解しようとして、数理モデルが考えられました。その取扱いはエネルギー(熱量)の保存則に立脚しており、次のように表されます。

  [温泉水から失われた熱量]=[導管の壁を通して流出した熱量]・・・(基礎式)

 上の基礎式に「熱伝達の式」を適用して数式化することによって、現象は詳細に記述されます。しかし、式には多くのパラメーターや定数が含まれることなどのため、厳密に解を求めることは困難です。そこで、本質が損なわれないように式を簡略化し、近似的な取扱いがなされました。図3には、そうして得られた平均的な温度鉛直分布が「数理モデルによる温度」として描かれていますが、現実の温度分布がよく再現されていることが分かります(瀬野,1942;湯原・瀬野,1969)。
 また、この研究で導かれた数式に、より大きな湧出量を与えると泉温(湧出口での温度)は高温側にずれ、より小さな湧出量を与えると低温側にずれて、先に述べた「泉温と湧出量の関係」を量的に説明することができます。
 この研究で取り扱われた数式は、およそ60年後にモンゴルの温泉の研究に応用されました。その論文(由佐・田篭,2001)には、整理された形の数式が掲載されています。

【エピソード】

 別府に京都大学地球物理学研究所が実質的に開設された1924年から、学生の臨地演習が行われるようになりました。その参加者の一人が、当時理学部3年生の速水頌一郎教授(1903~1973)でした。以下に、泉温と湧出量に関する先駆的研究のエピソードを、速水先生の「海洋時代(1974)」から抜粋して紹介します。

速水頌一郎教授の証言

 その年すなわち大正15年の秋、同研究所の開所式が行われることになり、わたくしは数名の学友とともに三ヶ月間別府ですごした。その間に別府温泉について温泉井内の温度分布を測定させられた。そして湧出口附近の泉温はまちまちであるが、孔底温度はほとんど一様であって、いくつかの温度に分けられることを知った。先生(志田順教授:温泉科学 第7回参照)はこの結果を卒業論文にまとめるようにいわれた。わたくしは円柱内を流れる流体の熱拡散をしらべ、当時勃興しつつあったプラントルやカルマンの乱流論に初めて接し興味を覚えた。しかし湧出量の測定がそのとき同時にできなかったので、うまく測定結果をまとめることができなかった。
 この問題は後になって野満教授と瀬野錦蔵博士によって発展され、湧出量の多いほど途中の冷却が少ないということで孔底温度・湧出量・湧出口温度の関係式が解かれ、未知の要素は係数として観測値からきめるというやり方で巧みにまとめられ、いまでも使われている。

執筆者由佐悠紀)
参考文献
  • 松田 繁(1905):別府町・濱脇町鉱泉ニ関スル取調書類,大分県知事への報告書.
  • 瀬野錦蔵・西田久雄(1938):別府温泉二三の湧出口導管中に於ける泉温分布と途中冷却率,地球物理,2巻,32-40.
  • 瀬野錦蔵(1942):温泉湧出導管中に於ける温度垂直分布の近似解,地球物理,5巻,187-191.
  • 湯原浩三・瀬野錦蔵(1969):「温泉学」,地人書館.
  • 速水頌一郎(1974):「海洋時代」,東海大学出版会.
  • 由佐悠紀・田篭功一(2001):モンゴル・バヤンホンゴル州のシャルガルジュート温泉について,温泉科学,51,51-61.

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