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2018年4月5日更新

第8回
あぶらくまはちと女性たち

ふるさと宇和島

  油屋熊八の生まれ故郷へまで出かけて調査した人は、私の知る限りでは佐賀忠男さんただ一人と思われます。佐賀忠男さんは昭和58年の月刊アドバンス大分に『湯の花太閤記』を連載し、つづいて昭和59年の西日本新聞に『湯けむり太平記』を連載して油屋熊八の物語を世に知らしめた人です。また『ドキュメント別府と占領軍』という優れた記録本も遺しています。
 佐賀さんによると熊八のお墓は愛媛県宇和島市妙典寺前の光国禅寺にあります。
このお寺の過去帳によって、油屋という家が江戸時代の中期に門田家から分家して油と米を商う伊達藩の御用商人として栄えたことが分かるようです。
 熊八は文久三年(1863)にその油屋家の長男に生まれ、寺子屋や私塾で学んだ後、15歳から家業を手伝います。しかし、ただの米商人で終わらず、明治22年(1889)に町制が施行されて宇和島町が誕生すると弱冠26歳で第一期町議会議員に選ばれています。
また、熊八は早くから新聞の情報・伝播力に着目し、地元新聞の発刊に尽力したり、新聞記者と親しく付き合って情報収集をしたりしています。



大正6年頃の亀の井旅館  小野 弘 氏 提供

油屋将軍

 熊八の結婚は23歳のとき、宇和島の名家の娘であるユキをめとった、とされています。

 結婚の前年、熊八は朝鮮半島へ米の視察へ行き、日本と清国の間の利権争いを鋭い嗅覚で察知して、遠からぬうちに日清戦争が起きると予測します。
 この予測をもとに30歳のとき大阪へ出て、堂島で米の相場師になります。
翌年の明治27年に日清戦争が勃発。米の先物買いにより当時のお金で六十萬円、現在の数十億円を手にした熊八は「油屋将軍」と呼ばれる有名な相場師になります。
 当時の写真には外国製の高価な自転車に乗った熊八がうつっています。カンと度胸と若さと莫大な金を持っているわけですから、女たちに大モテだったに違いありません。
 しかし、長い間の愛人として名前が知られているのは亀井タマエだけです。



写真館での記念写真。自転車のすぐ脇に腰掛けている人が本妻のユキさん。

亀の井旅館

 日清戦争終了後の経済大変動によって、油屋将軍は一夜にしてスッテンテンとなり、明治30年に太平洋航路の三等切符を買ってアメリカへ渡ります。以後3~4年間アメリカで働いた後、帰国して「転がり込んだのが大阪の亀井タマエの家だった」となっています。
 タマエさんに食べさせてもらいながら相場師の仕事をしたけれど、なにせアメリカで洗礼を受けた聖公教会のクリスチャンなので、以前とは気持ちが違って、たぶん金儲けへの情熱がなくなっていたのでしょう。
 そういうとき大阪で名前が知られていた新興の別府温泉に独特の嗅覚を働かせて、ここで起死回生を図ろうと、熊八はただ一人別府へ乗り込んだ、ということです。
 熊八が別府で最初に頼ったのは、画家佐藤敬のお父さん、佐藤通さんだったそうです。
 後に雑誌『二豊の文化』の座談会で、佐藤通氏が油屋熊八の思い出を語っていますが、「油屋と私とは切っても切れない関係にありました」と若い頃からの知り合いであり、長所も短所も知り尽くしていて、「一口に言いますと無鉄砲な男でしたよ」と語っているのが実に面白いのです。(座談会の記事については小野弘氏に教えていただきました。)
 佐藤通さんが買った家は、流川の不老泉のそばの田んぼの中に新しく建った建売り住宅であり、二階建ての家を熊八に貸して、佐藤家は離れの1軒に住んだようです。熊八は後年、佐藤家に世話になったと繰り返し述べているようですが、昭和10年に熊八が死去したときも、葬儀を仕切ったのは佐藤通夫人の祥子さんだったそうです。
 さて、明治43年に戻りますと、熊八は大阪で金策をし、佐藤家が借してくれた小さな家で旅館をはじめました。愛人・亀井タマエの名前から亀の井旅館と名付けています。
 最初の女将さんは亀井タマエだったという説もありますが仔細はわかりません。この女性の妹さんは亀井アイといって別府市の浮世小路で「一つ家」という店を経営していたそうで『二豊の文化』の座談会にも亀井アイさんは出席しています。
 創業した亀の井旅館にお金が回るようになって雇い入れたのが「みつさん」という女中さんで、この女性は80何歳になるまで亀の井旅館、その後の亀の井ホテルを取り仕切った、誰一人知らぬ人のない有名人だったそうです。
 熊八は本妻のユキさんとの間にも、亀井タマエさんとの間にも子どもがいませんでしたが、他の女性に男の子が一人生まれていて、このご子息が油屋姓を名乗っています。
 油屋熊八をモデルにした中村勘三郎主演の芝居『別府温泉狂騒曲 喜劇・地獄めぐり』のオープニングにこのご子息油屋正一氏(シャープ株式会社の元重役)が招かれ、紹介がなくても風貌がそっくり!とみんなを驚かせたそうです。
 『喜劇・地獄めぐり』は平成14年、2月に東京の新橋演舞場、3月に大阪の松竹座で上演され、ウィークデーも満席で補助席もいっぱいという大盛況でした。中村勘三郎さんが油屋熊八の芝居を思いついたのは、大分の定宿にしていた亀の井別荘で当時の社長中谷健太郎さんからSPレコードの『♪ここは名高き流れ川~』という少女車掌の地獄めぐり案内を聞かされたことによるそうです。ここにも、熊八さんと由布院のご縁が生きているのが分かります。


詳しくは
●『別府今昔』
●月刊アドバンス大分昭和50年7月号『でかい夢の朝』
●月刊アドバンス大分昭和58年1月~9月号『湯の花太閤記』佐賀忠男
●『地獄のある都市』別府市観光協会
をお読みください。

執筆者三浦祥子)