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温泉科学  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

2013年7月16日更新

第10回
日本での地球科学的温泉研究のあゆみ(8)

〔別府温泉での研究-大正末期から昭和初期(Ⅳ)〕

【岩漿水検出の試み-重水濃度の測定】

前回紹介した論文「別府温泉涵養源としての雨量」で言及された「処女水」とは、「地球創生後初めて地上に出現した水」を意味しています。マグマ起源の水と考えられて「岩漿水」とも呼ばれますが、「そのような水が存在するかどうか」、存在するとすれば、「その量はどのくらいか」が、温泉研究の重要なテーマでした。しかし、有効な研究手法が見つからないこともあって、研究は進展しませんでした。そんな状況が続く中、1931年に重水素が発見されたことをきっかけとして、研究が動き始めました。

重水素とは、原子核が陽子1個と中性子1個から成る質量数2の水素の安定同位体です。普通の水素の原子核は陽子1個だけですから、2倍の質量(重力場では2倍の重さ)があります。したがって、水素と酸素の化合物である水には、普通の水と、それより重い水(重水)があることになります。〔酸素にも複数の安定同位体があるので、重水もいくつかの種類があります。詳しくは事典「安定同位体」の項や外部サイトを参照して下さい。〕

研究が始まった頃は、質量分析計が無かったため、自然界の水の重水素を直接的に計ることは出来ませんでした。そこで、水の比重を精密に測定して、重水ひいては重水素の濃度を推定しようとしたのです。当時の水の比重測定技術(浮沈子法)は、時間はかかるものの、極めて高精度で、小数点以下7桁ほどまで測定することができました。もちろん、温度を一定に保つ技術も確立していました。測定に当たっては、当然のことながら、溶解成分を除去するため、蒸留・純水化されました。

地球科学者は、重水濃度が岩漿水検出の鍵になるのではないかと考えたようです。たとえば、重水素を発見したユーリー[Harold Urey(1893~1981):1934年,ノーベル化学賞受賞]たちは、1932年にハワイのキラウエア火山から噴出する水蒸気や黒曜石に含まれる水の重水濃度を測定しましたが、降水との差は検出されませんでした。
日本でも、昭和10年代に、浅間山・鳴子間欠泉・箱根などの湧水・温泉水・水蒸気の重水濃度が測定されましたが、結果はまちまちで、岩漿水の存在を議論するまでには至りませんでした。

同じ頃、別府温泉においても、野満隆治教授の指導の下、重水濃度の測定が始まりました。目的は、もちろん、岩漿水の検出です。このとき野満教授らは、多数のサンプルを測定することによって、道を開こうとしました。しかし、測定の困難さもあって、11試料の測定結果を記した2編の論文を公表して、重水の研究は終わることになりました。

図1は「地球物理」誌に掲載された論文の冒頭部分です。この研究を始めた動機や目的が書かれています。図2は成果の1つです。その解説は別枠に記しました。不完全とは言え、興味深い内容もあり、別府温泉の研究史では記念碑的なものの1つと思われます。
【付記】太平洋戦争中という事情もあって、この方面の研究は終わりましたが、それから半世紀後の1990年代になって、温泉水の水素と酸素の安定同位体の研究として復活することになります。これについては、別府温泉事典などで紹介します。


図1 論文「別府温泉の重水」の最初のページ.


図2 別府温泉における温泉井戸の深度と重水濃度の関係:野満(1940)より.

図2の解説

 測定された11試料のうち、別府旧市街(浜脇と別府)から採取された9個について、井戸の深さ(横軸:m)と重水濃度(縦軸:単位は100万分の1)が対比されている。なお、ここでは、標準水(ここでは京都市の水道水)と温泉水の比重の差を、重水濃度としてある。たとえば「1」は、温泉水の比重が標準水より「0.000001」大きいことを意味する。当時は、このような比重差を便宜的に重水濃度と呼んでいたようである。
 図2では、7つのデータが負の勾配の直線関係にある。例外的な2つのうち、値が小さいもの(14.5m深)は、別府駅の山手側(田の湯町)の温泉で、深部との連絡が大きいと考えられた。また、値が大きいもの(51m深)は、秋葉町辺りにあって、浅い地下水と交流のあることが想定された。そして“「處女水(岩漿水)は常水よりも軽く重水率が少い」ことを暗示するものの如くである”と記されている。
 しかし、この予察的な解釈は当っていなかったようである。これには、その後の2つの研究が関わっている。1つは、高地部の降水は深くまで浸透・流動し、それより低地部での降水はより浅部を流動するという地下水循環系モデルの確立である。もう1つは、高地部の降水は低地部の降水より軽いという事実の発見である。図2は岩漿水とは無関係で、降水に関する2つのメカニズムが現われているのではなかろうか?(これは、執筆者の解釈である。)

比重差と重水濃度の関係の例

 軽水を標準にして(比重1)、軽水と重水が混合している水の比重差が10-6(0.000001)とする。重水をD2O(D:質量数2の重水素、O:質量数16の普通の酸素)とした場合、その分子量(陽子数と中性子数の合計)は20である。軽水の分子量は18であるから、重水の混合割合をrと書けば、{18(1-r)+20r }/18 = 1.000001 、ゆえに r=0.000009。すなわち、重水濃度は0.0009体積%である。

執筆者由佐悠紀)
参考文献

野満隆治・池田亮二郎・瀬野錦蔵(1938):別府温泉涵養源としての雨量,地球物理,2巻,97-126.
野満隆治(1940):處女水ト重水,日本温泉気候学会雑誌,5巻,203-211.
野満隆治・大塚昌三・堀龍夫(1940):別府温泉の重水(第一報),地球物理,4巻,275-279.

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